一般社団法人 日本エステティック評議会

日本の脱毛の歴史 その7

平成~現代

レーザー脱毛機が遠いアメリカで発明されて間もない1986年、日本はバブル期に突入しました。
日本における過去最大の好景気です。
高級住宅や高級車が飛ぶように売れ、就職活動も超売り手市場で、就職先には困ることがないような世界でした。
戦争から一転、力強い復興から、熱狂を伴う好景気へと進む日本。
今回は平成から現代までの脱毛を見ていきます。

女性の社会進出とファッション

1980年代に紫外線による皮膚への害科学的に解明されました。
それまで、積極的に太陽光を浴びた方が健康に良いとされてきた日本。
日焼けをするとシミやそばかすの原因となる、ということがこの時代初めて一般大衆にも周知されたのです。
しみ、そばかす対策へのニーズが急上昇します。
化粧水や乳液といった基礎化粧品が充実し、日焼け止めが一般に使われるようになりました。
しみやそばかすを作らない為に、日焼けを控えたり毎日のお手入れが習慣化したのはこの頃です。

バブル経済のもたらす好景気に沸く日本は勢いをつけ、国際社会でも活躍し始めます。
日本人デザイナーがパリコレクションに参加するなど、日本人のセンスが世界に評価されるようになったのです。
敗戦からようやく、『日本人のアイデンティティ』を取り戻したということでしょう。
すると、『西洋人のようになりたい』という欧米中心だった価値観から、『日本人固有の美しさ』を見直す風潮が生まれました。
日本人の骨格や肌色に合った、美容文化がもう一度見つめられ始めたのです。

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雇用機会均等法の制定などを受け、女性にキャリア志向が生まれると、キャリアウーマンブームが起こります。
それまでは制服で働く一般職のOLがほとんどでしたが、自由にスタイリッシュな服を着て、バリバリ働く女性に憧れを抱くようになったのですね。
それまで20年間にわたって細くて薄い眉が美しい眉の主流でしたが、この時代になると一気に太く濃くなります。
まさにバブル景気時代の女性の力強さを象徴するようなメイクですよね。

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好景気が後押しをしたことで女性の社会進出が加速しました。
お金や時間に余裕が生まれるようになります。
次第に高級・本物志向が進み、ゴージャスな生活が当たり前のようになりました。
まさにバブル時代全盛期です。
すると、女性の間では『一攫千金』を狙うような風潮が生まれます。

ファッションは強さと女性らしさを使い分けるようなスタイルに移行しました。
ヘアスタイルは同じ長さのワンレングス、ボディラインがはっきり表れるボディコンシャスなど、女らしさ強調するファッションが流行します。
同時にメイクは口紅以外の化粧は薄くなり、アイメイクはナチュラルなものが主流となりました。
考えや目的によって『女性の美しさ』が変遷を遂げていることが、メイクひとつからでもわかります。

この頃の男性ファッションは、派手な色で大きめサイズのソフトスーツが主流です。
ダボっと着こなすのがお洒落だったそう。
この時代の洋服には女性も男性も肩パットが入っているのがお決まりでした。
肩を大きく見せて、ウエストで絞るラインが好まれたようです。
この肩パットと大き目シルエットは、2020年を迎えた今リバイバルブームが来ています。

また、渋谷カジュアルを略した『渋カジ』と呼ばれるスタイルも流行しました。
アメリカンカジュアルをベースにしたストリートファッションで、アメリカ製のジーンズを主役にするのが鉄板のコーデです。
古着と合わせて着るのがポイントでした。
このアメカジコーデは今でも良く見られるスタイルですよね。

バブル崩壊で二極化する美容

飛ぶ鳥を落とす勢いで好景気を続けていた日本ですが、1991年、ついにバブル経済が崩壊します。

中小零細企業だけでなく、大企業の倒産も相次ぎ、経済の停滞が相次ぎました。
リストラと称した整理解雇ブームが始まり、不況や格差が急速に深刻化していったのです。
これにより、美容は『高い』と『安い』の二極化になりました。
お金持ちはよりお金持ちになり、セレクトショップや高額ブランドショップが支持される一方、その他大勢の一般大衆は低価格追求型にシフトしていきました。

一攫千金を夢見ていた女性たちでしたが、一転。
ブランド至上主義が終焉を迎え、地道な生活を送るように意識が大きく変わったのです。

安い・早い・おしゃれ』を売りにするファストファッションが注目を浴びます。
雑誌ではこぞって安い服を高く見せるコーディネート術といった記事が取り上げられました。
高級ブランドを着ればOKだった今までとは違い、安い服や古い服を『どうお洒落に着こなすか』がポイントになったのです。
そういった背景から、多くのファッションスタイルが生まれたのが1990年です。


セレブ組のファッションアイコンとなったのは、世界で活躍するスーパーモデル達でした。
ナオミ・キャンベル、クリスティ・ターリトン、リンダ・エヴァンジェリスタが誌面を席巻します。
ヘアスタイルやメイク、ファッションに影響を与え、茶髪・細眉・小顔メイクといった西海岸的ヘルシー志向へ一気にシフトしていきました。

庶民組は、女子高生が新しいトレンドを次々とつくり、『コギャル』というギャル文化を生み出しました。
茶髪に、焼けた肌、細眉、ストレートのワンレンヘアに、ルーズソックスが定番スタイルです。
日焼けサロンに通い、日々日焼けに勤しみました。
しみやそばかすなんて肌が黒ければ気にならない!
という若いパワーが溢れたファッション文化でした。

主に裏原宿と呼ばれるエリアに店舗を持つブランドを中心に、『裏原系』と呼ばれるメンズファッションが一大ファッショントレンドとなります。
ストリート系ファッションを軸に、HIPHOP、ロック、バンドなどの要素が入ったスタイルが主流でした。
一見南米のギャングのように見えるほどのビッグシルエットが基本で、下着が見えるまでパンツを下ろして履く『腰パン』は彼らの定番でした。

1990年後半、この頃から流行スタイルに変化が見られるようになります。
以前は、トレンドリーダーを先頭に裾野へ広がるピラミッド型だった流行スタイルが、『ギャル系』『OL系』『裏原系』といったように、ピラミッドの山がいくつも細分化されるようになったのです。

美しさの基準

様々に細分化されていった流行スタイルでしたが、それぞれに共通した『美の基準』がありました。
共通だったのは、目元の美しさが重要視されたということです。
女性は二重まぶたで、まつ毛は上下に反りあがっていて、長く、太く、多いことが理想とされました。


二重が映えるアイカラーやメイクアップ法が、頻繁にテレビや雑誌を中心に発信されます。
美容整形もこの頃には需要が増え、二重術は短時間で比較的低価格で受けられたことから、多くの女性が施術を受けました。

手術を受けられない学生の間では、アイプチといった人工的に二重瞼を作れる化粧品が大ヒットし、もともと一重や奥二重だった女性は、毎日二重まぶた作りに励みました。

また、目の美しさの中でも、特にまつ毛は目元の美しさの象徴として重要視されていました。
マスカラを重ねて塗ることで、毛量や長さを強調したメイクが基本でした。
さらには素のまつ毛の量や長さを付け足すつけまつ毛、まつ毛パーマ、まつ毛エクステが10代20代の女性を中心に流行しましす。
つけまつ毛は普段はメイクができない学生に受け、化粧の手間を省きたいという女性や、もともとの量が少なくマスカラでは満足できなかった女性たちには、まつ毛パーマやまつ毛エクステが受けました。

平安時代では小さく細い目が美しいとされていましたが、この時代の目の美しさはまさにその時代とは正反対。
欧米化後様々な文化を取り入れながら、日本独自の進化を遂げ、日本の美の基準は180度変わったといっても過言ではなさそうです。

カリスマ美容師が登場

江戸時代で活躍した髪結床、皆様覚えているでしょうか?
1990年後期、美容ヘア業界が再度復興します。
今度の流行は『髪結床』ではなく、『カリスマ美容師』と呼ばれました。
カリスマ美容師とは、美容師の中でも、特に高い技術力やデザインセンスを持ち、多くの指名客を持つ、スター的な存在の美容師です。
頻繁にメディア出演したことをきっかけに、彼らがトレンドリーダーとなりました。
カリスマ美容師の登場によって美容師をはじめとした美容ヘア業界に人気が集まります。
ヘアカット、カラー、パーマの技術力が向上し、様々なヘアスタイルが生まれました。
ヘアエクステが誕生すると、カリスマブームの後押しもあり大流行します。
一瞬で希望の髪の長さになれるヘアエクステによって、ヘアスタイルの幅が格段に増えました。
こうして、『ヘアスタイル』は重要なファッションアイコンに成長しました。

自宅用のヘアアイロンも普及し、『自宅でできる美容』に目が向けられるようになります。
自分でできるヘアアレンジやマッサージ法などが雑誌を中心に配信され、需要が拡大しました。

美容の選択肢が爆発的に増え、自分の美容に時間もお金も自由にかけられる環境になったことで、美容熱は戦後の日本史上最大の盛り上がりを見せました。
流行のものをただ身に着けるだけではなく、自分の顔立ちや雰囲気にあったアレンジによって自分の美しさを表現するようになったんですね。
情報やツールが充実したことで、気軽に好きなスタイルになれる時代になったのです。

ついに始まる永久脱毛

1997年、ついに日本にも永久脱毛ができるレーザー脱毛機が輸入されました。
今まで高い関心が寄せられていた反動もあり、一気に永久脱毛ブームが到来します。
脱毛ブームの勢いを受け、全身美肌を求めるムードの高まりから、エステサロン店も急増しました。
体毛がない美しい体』という西洋的価値観は、今や男女問わず日本人女性の美しさの原点になっていました。

最新技術によるレーザー脱毛は、強力なレーザーを肌に照射する為強い痛みを伴います。
さらには100万円を超える価格設定で、とても気軽には受けられませんでしたが、社会で自立し一定の収入を得ているキャリアウーマンを中心に、多くの女性が施術を受けました。

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この脱毛ブームによって、デリケートゾーンの脱毛も抵抗がなくなり、女性のVIO脱毛が広く認知されるようになりました。
見える部分の脱毛から、見えない部分の脱毛が注目されるようになったんですね。

メンズ脱毛店も登場し、江戸時代以降衰退していた男性の全身脱毛が復活します。
とはいえ、体毛を処理せず自然なままにする男性が大半でしたが、日ごろ毛深い体質に悩んでいた一部の男性に受け、1999年にはメンズ脱毛が流行しました。
髭や腕、下半身が主な脱毛箇所です。
また、髭を薄くするだけでなく、ファッションとして眉を整える脱毛をしたりと、次第に日本人男性にも男らしさではなく、『美しさ』を求める動きも見えるようになってきました。

未来への不安感が蔓延し安定志向が芽生えると、結婚願望が高まり『婚活ブーム』が起こります。
女性たちの『モテ意識』が強くなっていったのです。
女性らしさを強調するロマンティックなファッションや、手軽にトレンドを楽しめるファストファッションの人気が拡大しました。

身の丈に合った消費傾向に向かいます。

2000年以降高まる美容熱

光脱毛機の開発

日本人の肌質に合った脱毛機の開発を目指していた国内の美容メーカーでしたが、2000年、ついにその開発に成功します。
既存のレーザー脱毛とは違う、出力の弱い波長を使って発毛組織にダメージを与えるという、光脱毛機です。
この光脱毛機はレーザーに比べ弱いエネルギーを照射する為、短時間で痛みが少ないという特徴があります。
施術時の痛みを敬遠していた客層にこのメリットが受け、日本での脱毛への関心は老若男女問わず、爆発的に拡大しました。

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これにより、エステティックサロンでは、レーザー脱毛と光脱毛による脱毛施術が受けられるようになったのです。
大手脱毛サロン店も参入し、脱毛市場は急激な右肩上がりとなります。

ところが、高額かつ長期の契約が必要となる脱毛施術は、トラブルに発展しやすいという危ない側面を持っていました。
さらには違法な勧誘や無理に高額な請求をする悪徳サロンも増えた為、消費者との間で長く問題が絶えなかったのです。


特に頻出したのは、技術者の技量や知識不足などが原因で、レーザー脱毛施術でお客様に火傷を負わせてしまうケースです。


これを受けた厚生労働省は、2001年に『レーザー脱毛は医療行為』として、施術者を医師だけに認めました。
これによって、医師によるレーザー脱毛と、エステティックサロンによる光脱毛は二分化されたのです。
その後、『高価格だが医師による施術で安心のレーザー脱毛』、『低価格で気軽にでき痛みの少ない光脱毛』と、それぞれの利点を生かした経営展開となり、消費者は自分の希望にあったサロンを選ぶようになりました。
その他、特定商取引法などの法整備も進められ、契約内容や施術内容に様々な規制がかけられるようになりました。
こうして、消費者が安心して脱毛できる体制が整えられていったのです。

2000年以降はインターネットの普及が格段に進みました。
携帯電話やパソコンが一家に一台から、一人一台のレベルにまで普及しました。
人気ブロガーが注目を浴びると、動画投稿サイトSNSが爆発的にヒットします。


自撮り写真を発信する傾向が顕著になって、多くのインフルエンサーが登場しました。
これによって海外や美容の情報がより早く、より身近に手に入るようになりました。
デリケートゾーンのムダ毛事情など、普段はあまり口にできないような部分も、簡単に知ることができるようになったのです。
また、エステ業界が拡大したことで、脱毛に関する情報を積極的に発信する機会が増えました。
そういった業界の努力もあり、この20年ほどの間で『女性のVIO脱毛は当たり前』という風潮にまで成長しました。今では、欧米と同じようにIラインとOラインを脱毛して、Vラインは整える程度に残すというのが、日本人女性のスタンダードになっています。

脱毛業界の価格破壊

2010年に入ると、エステサロンで価格競争が起こります。
大手の脱毛サロンを中心に低価格キャンペーンが至る所で打ち出されました。
脱毛機が流行した当初は全身脱毛に100万円かかるのが普通でしたが、今では30万円ほどが相場となっています。

レーザー脱毛は医師が行う為、エステサロンよりも料金が高いのが通常でしたが、こちらでも価格破壊が起こり、最近ではエステサロンと変わらない価格で受けられるようになりました。
この低額化によって、今まで脱毛に手が出せなかった学生などの若年層が手軽に脱毛できる環境になります。

そして驚くべき速度で向上しているのは機能面です。
様々なタイプの脱毛機が登場するようになり、機能性が上がりました。
現代の脱毛器は、痛くないだけではなく、肌にハリや潤いを与える美容セットでできるのが一般的です。
施術時間も格段に短くなりました。
半年から1年はかかっていた全身脱毛も、脱毛完了まで最短3カ月程と、どんどん短くなってきています。

脱毛人気に乗って、世界各国の脱毛施術が日本に持ち込まれ、脱毛法も劇的に増えました。
ワックスとシートを使って毛を抜くブラジリアンワックスや、肌に優しい素材で毛を抜くシュガーワックスなど、脱毛機以外の脱毛サロンも増え、大きなシェア数を持つようになりました。
特にブラジリアンワックスは、欧米ではメジャーな脱毛法として、日本でも多く普及しています。

脱毛の多様化


以前までは20代、30代の女性がメインだった全身脱毛でしたが、年代の幅も広がっています。
間違ったムダ毛処理から、肌荒れや埋没毛になるのを防ぐために行うキッズ脱毛や、老後、介護者の負担を減らすために行う介護脱毛など、脱毛の目的は『美容』という枠を超え、保健衛生や将来設計といった分野まで広がってきています。
もはや脱毛は美しくなるためのものだけではなくなったと言えます。

最近では、コロナやSNSの影響を受け、個人間や自宅での美容にも目が向けられるようになりました。
自宅でできる小型の脱毛機などの需要も増えてきています。

最後に

世界の脱毛と比べると、日本の脱毛の歴史は、まだまだ始まったばかりだということが分かります。『顔の美しさ』だけを大切にしてきた日本人が、欧米の文化を取り入れ、今では全身脱毛が当たり前になる時代までやってきました。

現代では誰でも気軽にできる脱毛ですが、これははるか昔から“美”を求める人々が危険を顧みず、“美”を追求してきた努力の結晶と言えるでしょう。先人たちの探求心や研究、知識がなかったとしたら、今の脱毛はなかったかもしれません。

今もなお、脱毛に関する研究は進化し続けています。そんな美容業界はまだまだ奥が深く、目が離せませんね。
いつの時代も“美”を追求する気持ちは同じです。

そんな“美”に寄り添った素敵なサロン経営を私達JACは応援しています。

参照元
「新版枕草子-付現代語訳」 清少納言著 石田穣二訳注 
「都風俗化粧伝」 高橋雅夫校注
「江戸入浴百姿」 花咲一男著 
「歴史を織りなす女性たちの美容文化史」ジェニー 牛山 (著).
「脱毛の歴史-ムダ毛をめぐる社会・性・文化」ハージグ レベッカⅯ(著)
「非国民な女たち 戦時下のパーマとモンペ」飯田未希(著)
「ネフェルティティもパックしていた:伝説の美女と美容の文化史」アンヘラ ブラボ(著)今木照美(約)
「化粧の日本史 美意識の移りかわり」山村博美(著)
「テルマエと浮世風呂 古代ローマと大江戸日本の比較史」本村凌二(著)
「共同風呂から見る近代村落の共同体と生活文化」民俗学、人文地理学、歴史を超えた視点から 白石太良(著)
「お風呂の歴史」ドミニック・ラティ(著)高遠弘美(訳)
「史上最強カラー図解 世界服飾史のすべてがわかる本」能澤慧子(監修)
「図説 戦争と軍服の歴史 服飾史から読む戦争」辻本よしふみ(著)
「新版 モダリーナのファッションパーツ図鑑」溝口康彦(著)

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