一般社団法人 日本エステティック評議会

日本の脱毛の歴史 その5

明治時代~昭和(戦前期)

明治時代

1868年、明治天皇が即位し、新政府は天皇を中心とした新しい国家体制を築くことを目指し、江戸を東京と改め、政府機能を京都から東京に移します。

日本が憲政体制に移行した明治時代
今回は明治時代の脱毛について見ていきます。

西洋化の風が吹く男性社会

長く華やかだった江戸時代にピリオドを打ったのが、明治維新です。


政府は富国強兵をスローガンに掲げて、他の列強国と肩を並べる為に急速に近代化を推進。
男性は産業と軍隊を支える健康体であることが何よりも優先で、その妨げとなるようなおしゃれや美容は不要とみなされました。
ここから男性の全身脱毛の文化は急激に衰退してきます。

日本に洋式軍制の導入が始まると、髷を結わずに散髪をする風潮になり、散髪脱刀令が発令されました。


うものではなく、『髪型は自由にして構わないよ』という布告です。
多くの男性は髷を落とし、刈り込んで作る『散切り頭』になりました。このヘアスタイルは文明開化の象徴とされました。

西洋文化を取り入れようとする動きは脱毛業界にも広がり、西洋ハサミやバリカンが国産化され、西洋レザーが一般庶民に普及しました。
それにより、手軽に髪型を変えたり、自分でムダ毛を処理しやすくなり、髪型や髭のスタイルも時代に合ったものへと変化していきます。

江戸時代に禁止された欧米の風習をまねて、再び生やすことが流行します。

官員の口ひげから始まり、学者や教員たちが髭を生やすようになりました。

平安時代の貴族のようなあごひげを伸ばす『天神髭』は教育者に好まれ、八の字の形をした『八字髭』は国家機関に勤務する官吏に多く、中国の武将、関羽のような頬とあごに長く美しく伸ばすスタイルの『関羽髭』は豪傑好み、といったように、顔や好みに合うようなスタイルがいくつも考案されました。

その後、戦争が頻繁に起こるようになると、1894年に起こった日清戦争を境に、バリカンを使って丸刈りになるのが軍人の基本スタイルになりました。

これは俗世間からの決別への気構えや規律維持などの他、頻繁な入浴が困難な野戦におけるシラミ予防といった衛生上の目的、決闘で頭部を負傷した際の手当のしやすさ、軍帽の蒸れ緩和など、実際上の利点が多かったことが理由に挙げられます。

戦争を強いられる立場の人々は、およそおしゃれや美容とはかけ離れた環境だったのは、言うまでもありません。

コレラの大流行

明治初期にかけて、日本に変革をもたらした出来事がもう一つあります。

海外諸国との通商を背景として、西南戦争で帰還兵が持ち帰ったコレラが日本で大流行したのです。

これにより検疫法令が作られ、国をあげた公衆衛生の普及活動が起こり、庶民生活に石鹸クリームが加わりました。

今日における衛生の基礎がここで生まれたといっても過言ではありません。

明治10年になると、白粉で使われていた鉛の毒性が問題とされたのを契機に、無鉛白粉(むえんおしろい)が研究され、27年後には商品化されました。

日本化粧は美人じゃない?!

明治維新以降、今度は女性の『美人』の概念が、グルっと180度変わっていきます。

この時代まで日本女性に長く愛された『眉剃り』と『お歯黒』でしたが、ついに明治初頭で終わりを迎えるのです。というのも、日本の化粧は緒外国には異様な姿に受け止められてしまい、大変不評で強い批判の的になってしまったためです。

古来の日本の美の様式は世界に認められませんでした。なんだか少し残念ですよね。

こうして、明治の末期にかけて、『メイク方法』や『美人の基準』もどんどんと西洋化へと移っていきました。
眉毛は剃らずに自然な眉の形を生かすようなメイクになっていきます。

しかし、の美の概念だけは変わりませんでした
特に富士額が美しいとされ、生え際の産毛を剃って、そのあとに眉墨を薄く引くメイク法が当時の美容書に残されています。

この頃は、平安時代から続く日本の伝統美と、現代の西洋文化である革新美の、転換期であると言えそうです。

日本で初めてのエステサロン店がオープン

明治後半になると、一部の裕福な女性や美容家たちが、欧米から最新コスメ美容法を持ち帰り、雑誌や新聞で紹介し始めました。
中でも注目を浴びたのが、『ハイジェニック・フェイシャル・カルチャー』。
今でいうエステです。
これは『美顔術』と訳され、明治30年には横浜や、新橋、日本橋などの繁華街で施術が受けられるエステティックサロンがオープンします。
女性向けの総合誌『女学世界』や『婦人世界』では体験レポートが掲載され、一般女性の注目の的でした。
ところが、『美顔術』という呼び名が悪かったのか、奇術ではないかと怪しまれたり、整形手術のようなものだと怖がられてしまい、実際に施術を受ける人は限られていたそうです。
しかし、これを足掛かりとして、10年ほどかけてエステは市民権を獲得していくのです。

気になるのは施術内容ですが、見れば、現在のエステの基本と通じていることが分かります。
まずは蒸しタオルで毛穴を開いた後、欧米の化粧品クリームをたっぷりと肌に塗りこみ、汚れや皮脂を絡めとります。
除去効果を高めるために、カップやローラー、さらには電気を使ったりと、当時にしてはかなり大胆なアプローチもあったようです。
初のエステ店である『遠藤波津子』の『理容館』(現「Hatsuko Endo」)では、約40分の施術で50銭
今で言うと1~2万円程なので、一般女性にとってはかなりの贅沢でした。
その為、財閥や政治家など上流階級の令嬢や夫人がお客様だったようです。

エステの始まりは、ここ、明治時代にあったのですね。

西洋化が進んでいる上流階級の人々の間では、洋服が頻繁に着られるようになります。
すると、今までは着物で出ていない、腕や足が露出するようになった為、エチケットとして足や腕の毛をカミソリや毛抜きで処理する女性が増えました。

ようやく、日本でも、顔以外のの脱毛をする女性が登場したのです

間違いだらけの脱毛法

美容業界では、西洋技術の導入をきっかけにして、永久脱毛を目指し始めます。

薬品や電気を使った脱毛方法が続々と考案されました。

しかし、当時は知識や技術がまだまだ未発達な時代です。

肌に硫黄や硫酸を塗ったり、毛を抜いた後に汚れた針を毛穴に入れて、わざと炎症を起こして毛穴を塞ぐ、といったかなり危険な方法の脱毛が行われていたようです。

当然、肌は傷つき、傷跡が残ります。
まさに暗中模索状態ですよね。
実際には脱毛できないにもかかわらず、『綺麗になりたい』と、この方法を試す女性は後を絶たなかったそうです。

技術や産業の発展途上だった日本は、まさに迷走の時代でした。

1875年、その頃アメリカでは脱毛機の先駆けとなる、電気分解脱毛法が発見されます。

もともとは逆さまつ毛の治療法として、発毛組織に電気を流し、永久的に除去するために作られました。

顔などのムダ毛処理に応用を試みられましたが、処理時間がかかった為、製品化はできませんでした。

大正時代

進化する美容と脱毛技術

大正時代に入り、第一次世界大戦が勃発。
日本国が連合国の一国として参戦し、戦勝国となりました。
これによって、日本の国益が大きく増進し、好景気に沸きました。

機械化や合理化された産業発展が女性の社会進出を促し、働きに出る女性が急増しました。
美容界では女性の社会進出の流れを受け、スピード化粧対人関係を円滑にするための化粧が少しずつ提案されるようになりました。
それまで白一色だった白粉も、肌色に合わせた多色白粉になり、紅花から作っていた口紅も、顔料や染料を配合したスティックタイプのものへ発展しました。
また、バニシングクリームやコールドクリーム、乳液なども現れるようになります。

江戸の人々のヘアケアを支えていた髪結が進化を遂げます。
日本で初めて美容学校が誕生すると、同じような美容学校がいくつも設立され、様々なヘアスタイルが生まれました。

1916年、アメリカで『電気分解脱毛機』が完成し発売されます。
電気分解脱毛法が発見されてから、41年後のことでした。

毛根に電流を流して組織を破壊することが可能となった、とても画期的な発明でした。
脱毛機の発売と合わせ、施術技術を持つ『電気脱毛士』を育成することで、多くの人が脱毛施術を受けることが可能となりました。
これによって、今の脱毛サロンの原型と言える“医師以外でも施術できる脱毛”が誕生したのです。

その後1924年にはフランス高周波脱毛法が発表され、1940年半ばには高周波脱毛機の普及が進みました。
高周波の過熱作用により、電気脱毛に比べて処理時間が早いというメリットがありました。

1923年。大手企業から日焼け止めクリームが初めて販売されました。
これも西洋化により、日本でも海水浴を楽しむ文化が浸透したことがきっかけでした。
太陽の下でも白い肌を保ちたいという女性の希望を叶える画期的な化粧品でした。

自由な若者が流行を生んだ。モダンボーイ・モダンガール

1920年の大正末期、西洋文化の影響を受けた若者が当時の最先端ファッションを生み出しました。
モダン・ボーイ』と『モダン・ガール』です。
『モボ』、『モガ』と省略して呼ばれました。

モガのファッションは、ひざ下長めのスカートや、『アッパッパ』と呼ばれる大きめのゆったりしたワンピースを着用するのが特徴です。
アッパッパ・・・。
不思議な響きですが、歩くとスカートの裾がパッパと広がることから、そう呼ばれるようになったそうです。
彼女たちの感覚は独特で面白いですよね。
膝から下の足は、カミソリで剃っていたようです。

フランスで大流行した頭にぴったりフィットする釣り鐘帽子『クローシェ帽』を身につけ、髪はショートカットやボブカット、又は北米で流行った『フィンガーウェーブ』のスタイルが定番です。
メイクにもこだわります。

細く下がった眉をくっきり描き、目尻にシャドーを入れたタレ目風、リップは赤い口紅を薄く引き、おちょぼ口というメイクが受けました。
頼りなげな表情に感じるメイクですが、和化粧の名残を感じますよね。

一方のモボはちょび髭、ラッパすぼん、カンカン帽や山高帽子にステッキなど。
羽織袴にマントと山高帽子を合わせて和洋折衷で利用することもありました。
さらに大正時代以降、伝統的なキセルたばこから紙巻たばこにシフトし、新しい銘柄が続々と登場しました。
葉巻タバコのパッケージにはモダンボーイ風のシルエットがデザインされ、モボを象徴するアイテムとなりました。

彼らは、西洋風の生活を積極的に取り入れることで、日本の伝統的なしきたりとは全く異なる自由を満喫しました。
パーティーを開き、カントリーやジャズの音楽を聴きながらダンスを楽しんだり。
そんな彼らの生活スタイルが、日本の若者に新しい価値観を与えるきっかけとなりました。
男女の交際が以前よりもオープンになり、半袖の服や水着など、肌の露出にも躊躇がなくなったのです。

モボとモガが闊歩したのは銀座周辺でした。
銀座エリア一帯は、火事対策の為早期から建物のレンガ化が進んでおり、モダンな雰囲気がありました。
昭和初期頃には多くの商業施設が立ち並び、モダンファッションの発信地にまで成長します。

銀座のデパートはモガの職場でもあり、店員とマネキン両方の役割を担っていました。
今でいうインフルエンサーのような存在です。
大手の化粧会社は『美容部員』の先駆けとなる女性たちを雇用し、デパートで積極的にメイク術を発信しました。
それまでは、畳に腰かけて接客する『座売り』が基本だったデパートでしたが、徐々にフロアに洋服を陳列するスタイルに変化します。
昭和初期頃まで続く彼らの活躍が、現代のファッション業やサービス業の原点を作ったと言ってもいいでしょう。

昭和

正しい美容法と広がる貧富の差

1926年、大正天皇が没し、昭和時代が始まります。
モボ・モガの人気は衰えることなく、西洋の美容の文化も浸透しつつありました。

昭和初期の美容書によると、”化粧映する為にはカミソリを当てることが必要”とあります。

顔剃りは入浴後が一番で、普通の場合は熱いタオルで肌を蒸して、皮膚を柔らかくしてから石鹸を付けて剃り、最後には化粧水をつける” などといった内容が紹介されていました。

肌に負担をかけないよう、ケアにも気を配っていたようですね。
この頃から、科学的に正しい美容法が推奨されるようになってきたことが分かります。
西洋レザーの普及も進み、自身でムダ毛を処理するセルフケアが主流になった頃でした。

映写機が日本に入り、大衆娯楽に『映画』が加わりました。
当時の映画で活躍した俳優は銀幕スターと呼ばれ、人々の憧れを一心に背負います。

銀幕スターを意識したメイクが流行しました。
眉はアーチ形に釣り上がり、アウトカーブで大きめに描いたリップが印象的です。

しかし、自身の美容に時間やお金をかけられるのは、都会の裕福層の人々が中心でした。

農村や山間部に住む人々は、今だ家で白熱灯1個しかない程度の家庭が多く、江戸時代を引きずっているような生活を送っていたのです。
彼らの大半は農業に就く人々でした。当時の日本の約60%は農業に携わる人々だったそうです。
西洋文化がもたらした民主主義の煽りを受けて、急速に貧富の差が拡大し始めます。

美容の低迷期

1937年、日中戦争がはじまると、『健康美』や『簡素美』が求められるようになり、流行の最先端である上流層の人々でさえ、白粉や口紅程度のシンプルな化粧が推奨されました。

日本は厳しい戦時下に置かれ、1945年に敗戦を迎えるまで、贅沢な美容などは二の次、といった状況となり、美容産業全体の低迷期となりました。

戦争の勝利と西洋化によって、日本の美容の歴史は大きく変わりました。
平安時代や江戸時代の様に、大正の美容文化が花開いたかと思った矢先、
次第に戦況が悪くなったことで、日本の美容業界は初めて後退を強いられました。

第二次世界大戦という、歴史的な大惨事を迎え、再び日本の美容はどう立ち上がるのでしょうか。
次回は戦後の昭和を見ていきます。

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