前回、古代オリエントで発展した脱毛の歴史を見てきました。
今回は、紀元前450年ごろの古代ギリシャの脱毛の歴史から見ていきます。
紀元前450年というと、日本ではちょうど縄文時代から弥生時代へと切り変わる転換期です。
そう考えると、ヨーロッパの持つ脱毛意識が、非常に高かったことが分かります。
日本では農耕文化が始まろうとしているこの時、古代ギリシャではどのような文化があったのでしょうか。
紀元前450年頃の古代ギリシャ時代では、女性の脱毛が主流でした。
もともとは娼婦が脱毛をしていたそうです。
しかし、男性の反応が良かった為、貴族女性の間で流行しました。
一般的には金属製の刃物や、ピンセットを使って行われていたそうです。
古代ギリシャ彫刻をご覧ください。ムダ毛の存在を感じさせない美しい彫刻はまさに徹底したムダ毛処理の現れですね。
逆に男性は『髭』が男らしさのシンボルとされ、臆病者は髭をそられるという文化だったそうです。
ワイルドな見た目が、男性の魅力だったのですね。
スポーツが盛んになり、オリンピックが開かれるようにまで繁栄すると、力強さや、健康美が重視されるようになりました。
当時は、美白よりも日焼けした小麦肌がトレンドだったそうです。
この頃ギリシャでは風呂文化が花開いて、共同浴場が多く作られ始めます。
スポーツで流した汗をここで洗い流していたそうです。
この時代に作られた演劇では、女性が公衆浴場でデリケートゾーンの脱毛を話題にしている場面が描かれています。
共同浴場は、この時代の人々が交流を持つための大切な場所でもあったようです。
古代ギリシャ式の風呂文化は、古代ローマへ引き継がれていきます。
古代ローマにも脱毛はありましたが、脱毛するのは女性ではなく男性でした。
エジプトの理容師をローマに連れて帰り、理容業を始めさせたことが脱毛を広げるきっかけとなったと言われています。
脱毛は当初は男性の権力者に寵愛される稚児が行う習慣でした。
しかし、脱毛によって清潔感が出ることが受け入れられ、次第に毛が無いことが男性のエチケットとされ、主に一部の特権階級の人々や貴族の男性が行っていました。
当時は、脱毛こそが上流階級のステータスでもあったのです。
この頃すでに、古代ローマではメンズ脱毛が始まっていたのですね。
ギリシャ人の、『髭』で男らしさを強調する文化を、古代ローマでは『体毛を生やすことは野蛮』として忌み嫌いました。
男性貴族たちは、首から下の毛を全て抜いて脱毛して、ギリシャ人との差別化を図ったそうです。
脱毛は毛抜きと軟膏を使って丁寧に脱毛したそうで、それを生業とするプロもいました。
一方兵士は軽石で髭を剃ることで清潔を保っていました。
兵士達にとって、髭を剃るというのは、男のステータスであると同時に、相手に髭を掴まれ戦場で不利になることを避ける為、という意味合いもあったそうです。
紀元1世紀頃になると、ローマ帝国は勢力を強め、ローマ皇帝アウグストゥスの時代に最盛期を迎えます。
アウグストゥスも『毛の除去』を怠らなかったそうで、焼いたくるみを滑らせて、すね毛を柔らかくしていた、と言われています。
戦場にいながらも、美しさを忘れないなんて、美意識が高かったんですね。
この頃になると、公衆浴場が一般大衆に受け入れられ、市民の間でも全身脱毛が流行しました。
公衆浴場に通っていた哲学者のセネカは『体毛を抜くときの呻き声がうるさい』と、自身の記述に残しているほどです。
比較的寛容な階級制度の中、毛を抜くのは奴隷の仕事でした。
奴隷は主人の毛を抜いていた為、脱毛していないということが、そのまま奴隷であるという外見的判断の基準になっていたようです。
全身脱毛が世間に広まると、ピンセットや鎌形のナイフを使い、わき毛を抜いたり剃ったりする『わき毛処理師』が登場します。
同じく同業者として『除毛師』もいて、脱毛後の毛根処理のために、客の体に様々な薬品を塗りつけて、発毛を遅らせていたそうです。
しかし実際に毛根が処理できていたかどうかは定かではありません。
実力の程は分かりませんが、一般的には、鋭利で危険な刃物を使って毛を剃るのは、こういった専門家や理容師の仕事でした。
古代ローマの後期にあたる400年になると、キリスト教が国の国教となり、その後ヨーロッパ全土へ普及していくことになります。
ローマ帝国が崩落し、ヨーロッパ各地にゲルマン人が複数の国を建国した中世に入ります。
ゲルマン人は、戦場での武勲こそを第一とする民族でした。
この戦士民族であるゲルマン人は、部族ごとに国を建て、今のドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルの原型を作ります。
また、ゲルマン人の一派でもあるノルマン人は海賊となり、北の海で戦いを重ね、イギリス、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、ロシアの原型を作ります。
建国とともにキリスト教も普及し、その影響力をヨーロッパ全土に強くしていきます。
この時代、理容師は髭剃りだけでなく、ケガの処置や四肢の切断まで行う外科医や、虫歯などを抜く歯医者なども兼務していました。当時の理容師は、高度な技術を持ち、広い分野で活躍する何でも屋のようなものだったそうです。
度重なる戦を経て、ゲルマン人の影響を受けたキリスト教に、『騎士道』という観念が生まれます。
この教えが兵士達に広く受け入れられると、男性の『髭』が復活します。
髭剃りの刀が改良され、よりデザイン性がある細やかなスタイルも作れるようになりました。
その為、古代ギリシャのようにボサボサに伸ばすのではなく、きれいに形を整えて清潔を保てるような新しいスタイルの『髭文化』へと発展していきます。
一方、キリスト教の教えは女性の美容にも影響を与えます。キリスト教の教えは『女性は生まれながらにして罪深い』としており、ファッションや化粧、恋愛さえも禁止されました。
芸術や美容は発展せず、停滞の時代に入ります。
戦争や流行り病が蔓延すると、ヨーロッパでは、病気を防ぐために脱毛が行われました。
この時代、風呂は不衛生で病気を引き起こす原因と捉えられていました。
人々は、風呂には入らず、ノミやシラミから体を守るために毛を剃ったり、ピンセットで抜いて脱毛していたそうです。
宗教や美容の為でなく、衛生の為の脱毛に後退した時代です。
キリスト教の弾圧の影響もあり、ファッションやヘアスタイルも地味で目立たないものが主流でした。
1200年初頭になると、イングランド王のヘンリー1世が、司教から髪を切るように命じられ、切る代わりにウィッグをつけると、これをきっかけに風潮が変わります。
髪を剃ってかつらを被ることが大流行しました。
宮廷では、誰もがかつらを被り、ロングヘアが100年間好まれました。
当時キリスト教の影響力を最も受けていたビザンチンでさえ、キリスト教徒がウィッグのために髪を剃っていたそうです。
ずっとおしゃれを我慢していた分、反動も大きかったということでしょうか。
イギリスやドイツでは刃物産業が発展して、カミソリの切れ味が良くなり、髭剃りを生業にする人々が現れました。
1300年頃ではフランスでウィッグ師という職業ができ、高貴な女性たちは貧しい人たちの髪を使ってウィッグを作らせていました。
これにより、市民の間では上流階級の人々に対して強い反感を買ったそうです。
戦争やキリスト教の力にによって、市民と貴族の間に大きな格差が生まれた時代は、およそ1,000年もの間続きました。
長い暗黒時代を超え、14世紀になると、ついにイタリアでルネサンスが生まれます。
古代ギリシャやローマのような文化を取り戻そう!という大きな運動が始まったのです。
その頃の上流階級の女性の間では、日焼けをするのは労働者で階級が低いものだ、という考えから、色白であることがセレブの証でした。
当時は眉毛が無く、額が大きい女性は頭が良く見え、異性にもてたそうです。
前髪を脱毛し、眉毛とまつ毛を剃ったり抜いたりして、額を大きく見せ、首を細長く見せることが流行しました。
なんと、髪の生え際は、つむじのあたりから始まっていたそうです。
風呂文化は衰退しましたが、脱毛に関しての価値観は変わらず、1400年ごろのルネサンス期でも、『体毛は無い方が美しい』という風潮は続いていました。
ルネサンス期の絵画の男女を見ると、髪の毛以外は全て綺麗に脱毛していたことが分かります。
この時代まで、ヘアカットや髭剃りだけでなく、医療行為もやっていた理容師たちは、理容外科医と呼ばれるようになります。
しかし、理容外科師の中には医療行為がずさんな者も多く、批評の的になりました。
1500年頃、イギリスで医療行為を行わない理容師が誕生し、その後ヨーロッパで理容業が広まりました。
女性は『病的なくらいか弱いこと』が『上品で美しい』とされ、美白がどんどんとエスカレートしていきます。
有毒な白鉛や水銀が入った白粉を顔にべったりつけて血色を悪く見せ、ビールを使って洗顔などして、『雪のように真っ白な肌』になることを最大のステータスとしていました。
更には、眉をカミソリで細く剃り、髪の生え際を剃って、髪を結いあげることで、肌の白さを強調していたようです。
肌に有害な美容法を実践していたため、実際の肌はシミだらけだったそう。
風呂にも入らなかった為、体臭がきつく、香水が発達しました。
中期ルネッサンス期は魔女狩りや魔術が信じられていた時代です。いいか、悪いかではなく、盲目的に神秘的なものが体に良いと極端に信じられていました。
この頃に使われていた脱毛剤は、なんと、猫の乾燥した糞にお酢を足したものだ、という書物も残っています。美しさの為なら何でもやってしまうパワーは凄いですが、この脱毛法はあまりマネはしたくありませんね・・・。
15世紀頃、西ヨーロッパでゴシック文化が生まれました。もともとは『ゴート地方様式』を意味して呼ばれ、細長いシルエットの建築が流行しました。
ゴシックには『天に近づくため』という意味があり、高ければ高いほど良いとされたようです。カツラの髪形もゴシック調がもてはやされ、どんどんと高さを増すように発展していきます。
フランスの皇帝であるナポレオンがいた17世紀のバロック期になると、上流階級の中で風呂文化が復活します。
清潔な美しさも徐々に取り戻し始めるのですが、毎日風呂に入るわけではなく、1週間から2カ月毎にそれぞれの部位を洗う程度で、相変わらず体臭もきつかった為、オーデコロンが重宝されました。
この時代、ファッションリーダーは王族でした。男性も眉と前髪を剃り、おでこを広く見せ、色白のメイクをしていました。髭も毛先がまとまるように整える形が流行しました。
女性は、ふくよかな程美しいとされ、髪を高く結い上げ、髪飾りなどで飾っていました。
付けぼくろや扇子も流行しましたが、これは、鉛や水銀を使った化粧品によってボロボロになった歯や肌を隠すためのものでした。
18世紀になると、フランスの宮廷からロココ文化が生まれます。
華麗で貴族的であり、華やかなスタイルが流行しました。19世紀を迎えると、自然な肌色が受けるようになり、石鹸が普及し、無害な化粧品も発明されます。
華やかなギリシャ、ローマ時代から、抑圧された時代になり、誇張された美しさへと価値観が移行した時代ですが、産業の進化とともにカミソリが改良され、理容師によって脱毛の文化も引き継がれていきました。
こうして、中世ヨーロッパは大きな時代の転換期を迎えることになるのです。
時代ごとに『美しさ』が変わっていくのは興味深いものがありますね。
しかし、時代は変わっても『毛』は美容と深い関係にあったことは共通しているようです。
次回は近代の脱毛の歴史を見ていきたいと思います。